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『私、日本人旅行者ですけど、伊勢丹の紀の国屋書店で藤川さんの本を読んで、一度お会いして話を聞いて貰いたいと思ったのですが、明日、お寺へ寄せていただいても宜しいですか?』と言う電話がかかって来たので 『明日なら何も予定は入っていないので、何時でも良いから来てください。バンコクからだったら南回りのバスターミナルから、水色と白のツートンカラーの996番ダムヌーンサドワック行きのエアコンバスに乗って、メクロンと言うところで途中下車し、降りた所でワット・ポムケウと聞けばすぐ判ります』と道順を教え電話を切った。 そして翌日朝の読経を終え部屋で寛いでいると庫裏の階下から『キヨ・マーッハヨームジップン』と大声で呼ぶ同僚比丘の声が聞こえ下へ降りと、見るからに陰気そうな男が 『昨日電話したHです。話しを聞いて貰いたくて・・』とボソボソと陰気な声で言うので 『俺が藤川やけれどマー上がって座れや』と言って一階の雑談スペースの長椅子に座らせ 『俺に何を聞いて欲しいのや!俺に相談したって大して頼りになる男やないで』と言うと 『私、福井高専を卒業してA化成に就職し、静岡のプラントで働いていたのです。A化成は本当に良い会社で、寮も食事も問題ないし、給料は他の会社と比べても良いし、ボーナスは年に3回も出るし“寮暮らしの上にこんな街から離れた工場で働いていたのでは、彼女も出来ないだろう”と会社が付近の工場に働いている若い女性を招待し、何ヶ月に1回会社が費用を負担してパーテーイまで開いてくれるのです。そんな“至れり尽くせり”の環境の中で暮している間に“俺ってこれで良いのだろうか?これじゃ俺は水質から水温まで管理され人口藻で飾られた水槽の中で、時間的に餌を与えられただ生きているだけの熱帯魚と同じでは?世界は人生はこんなものじゃ無いのでは、自分の足で広い世界を実際に歩き自分の目で世界を見たい!”と思い詰め退社し世界を歩き回っていたのですが、7年目に身体を壊し親元の福井へ帰りズーと寝込んでいたのです。が、一向に身体が快復しなく、このまま俺は駄目になってしまうのでは、自由に旅も出来ないのならもう“死んでしまいたい”と考えるようになり、実際に何回か自殺を試みたのですが死ぬことも出来ず、親に監視された現状では死を実行するのも不可能だ。同じ死ぬのならもう一度旅に出て東南アジアの何処かの地で死のうと思い詰め、2週間前に有り金を全部持って福井を出て2回目のタイへ来たのです。そして一昨日伊勢丹の紀の国屋でこの“タイでオモロイ坊主になってうた”と言うこの本を見つけ一晩かかって何回も読みなおし、一度、藤川さんに話を聞いてもらいたいと思い昨日電話させてもらったのです』と言う 『そんね、もうチョットは病気は良くなったのか?身体の調子はどうなんやね』と聞くと 『身体中が病気の展示場のようなもので、下痢はもう半年も治らないし、一年ほど腰と足の関節が痛くて歩行困難だったのが少し良くなり、何とか歩けるようになったと思ったら、今度を首が回らなくなったのです』と横に座っている俺の顔を見るのに、首と一緒に身体全体をねじるのだ、身体と一緒に首を回さないと首だけでは回らないようで、そう言われて彼をよく見直すと顔面神経痛の人独特の表情をしている 『俺は医者でも精神医でもないのだから確かなことは何も言えないが、お前の病気の原因は肉体的なものではなく50%以上は精神的なものと違うか?佛教では“すべては心から生じる”と説いている。最近タイはビザ取得が難しく長期滞在は無理だが、ミャンマーやったら瞑想ビザと言うのが有って、真面目に瞑想する人は何ヶ月でもビザを引っ張れる。俺の知っている60歳過ぎの日本人のおじさんは、在家やけどヤンゴンのマハシー寺(瞑想センター)でもう6年も座っている、お前もあそこへ行って“自分の心の奥深くに抱えている問題をジックリ観察して見ろ。心の中に秘めて自分でも判らなかったものが、ハッキリ認識できたらお前の病気は勝手に良くなると俺は思うで』と言うと 『自分でもそう思い、12日のヤンゴン行きチケットをもう購入してあるのです』と言う 『それで金はこんな生活をあと何ヶ月くらい続けられるだけ持ってるね』と聞くと 『あと6ケ月くらいは大丈夫だと思いますが、この金が無くなったらどうしよう、他国で飢え死に・野垂れ死にするのではと思うと不安で』と言うので 『お前、東南アジアで死ぬつもりで出て来たん違うのか!人間は生まれたら必ず死ぬもんやこの世は“諸行無常”なんや。お前は自殺しようと考えたんやろう。そのお前が何で野垂れ死にするのが怖いのや。自分で後で後悔する事がないと言い切れるくらい精一杯生に挑戦して、その結果、野垂れ死にするのやったら上等やんけ、お前の望むところやんけ』と怒鳴りつけ 『お前な佛教では自殺願望は生存欲への執着だと見ているのだ。自分の望み通りに生きたいという欲望への執着の強い奴が、自分の思い通りに事が運ばなく欲望が満たされないときに死に憧れるのや。お前も死にたかったら死ねや!“死にたい!死ぬ”と喚く奴で、本当に死んだ奴を俺は未だ見たことが無い・未だ知らん。“死にたい!死にたい!”と言うのは“もっと生きたい!自分の欲望をもっと満たしたい”と言う奴の裏返しの言葉や!人間は誰もが何らの苦しみ悩みを抱え、それと戦いながら生きているのや、俺は自殺する奴の原因が何であれ、自殺する奴に同情もしないし可哀想だとも思わない。でも生きる苦しさに耐え、力一杯挑戦して前向きに生きている奴には、俺に出来る限りの応援を惜しまないし、そんな奴と苦しみを共に分かちあえる坊主である事を自分に課して、これからの人生を生きて行きたいと願っている』と言って彼の膝を2~3回パンパンと軽く叩き 『また話ししたくなったら何時でも来いや。こんな訳の判らん話しか出来ない頼りない坊主やが、また俺に怒鳴られるのを覚悟で来いよ。お前と一緒に“苦しんだり・泣いたり・笑ったり”は俺にも出来るから』と言って、バンコクのゲストハウスへ帰るというH君を寺の門まで送って行き別れた。 で、一人になってから『俺は励ましのつもりで、あんなキツイ事を言ったのだがアレでよかったのだろうか?彼に同情してもっと優しく温かい言葉をかけてやるべきだったのでは?』と、あれから何日間も自問自答してみたが答えが出こない。 はたして坊主として俺はアレでよかったのだろうか? 合掌 オモロイ坊主を囲む会の ホームページ www.omoroibouzu.com 人生問答が人気の、無料メルマガ http://www.mag2.com/m/0000110106.html オモロイ坊主こと藤川 チンナワンソ 和尚のヴィパッサナー瞑想指導動画はこちらから 人気blogランキングへ
by omoroibouzu
| 2005-08-06 21:05
| タイの田舎寺への訪問者
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